エイジ(仮名)
1993年8月25日
日本 東京
武蔵野北高等学校
慶應義塾大学
映像翻訳
「哲学」に出会った青年はどう、自分の人生を生きるのか。大学で哲学を学んだあと、就職活動をせずに専門学校に通い、映像翻訳家の道に進んだエイジ(仮名)さん。特殊な家庭事情を持ちながら、学生時代に哲学と出会った彼はどんな葛藤をしながら、今の道に進むことになったのか、詳しく聞いてみました。
自分が翻訳した映画で、一人でも泣かせたら、それだけで良い。
プロの映画翻訳家を目指すエイジさん 座り方がかっこいい。
ーあなたの夢はなに?
自分が翻訳した作品を増やしていくことかな。
ほとんど誰も見ないような、深夜に流れてくる映画でも、1人でも泣かせたら勝ちだなって思ってる。映画の翻訳をやりたいきっかけは、大きい映画館で、エンドロールに自分の名前のクレジットが見たいということと、ハリウッド超大作を翻訳することだった。でも、実際にそんなこと出来る人は日本に2.3人くらいだからね。
今は、すでに字幕が出来ている作品の、最期の翻訳のチェックをする仕事をしてるよ。
人と話すのは苦手だった小学生時代
ー小さい頃どんな人だった?
両親は夜に働いていて、鍵っ子だったんだ。だから、人見知りしていて、人と話すのは苦手でテレビをずっと見ていたかな。でも、2つ上の兄が活発だっから一緒に遊ぶようになって、活発な男の子になった。
ー人気者?
足が速かったからね。
そりゃ人気出るよね。
映画はほぼ見ていなかったかな。本はかなり好きで、ずっと漫画読んでた。
全ての「一般」が嫌いだった中学生時代

ー中学時代はどんな人だった?
反体制に目覚めた時期かな。突っ張るんじゃないけど、人と違うのがかっこいいと思っていて、意味もなく遅刻してた笑
全ての「一般」が嫌いで、カテゴライズされないところに位置しようとしてた。みんなが授業聞いてたら聞かないし、みんなが行くところには行かないし。多分ちょっと目立ちたかったんだろうね。それがかっこいいと思ってたんだよね。本気で笑
(めっちゃ分かる
)
(僕も目立ちたくて、必ず人が選ばないものを選んでました

)
ー高校受験はどうだった?
中3のときに家庭教師がつくようになって、その人が慶應の総合政策部の学生で、すごい自分の好きなことやってる人だったんだ。その人は子どもと芸術をつなぐ活動をやろうとしていて、色んな美術館の話とか、美術家の合田誠とかをその人から聞いて、こういう人になるためには勉強しなきゃいけないのかなと思ったよ。その人がいなかったら慶應に入るっていう選択肢は出なかったね。
(家庭教師って人の人生を変えるインパクトがあるんだね
)
部活に打ち込んだ高校時代
ー高校生のときはどんな人だった?
高校は陸上部に入ったんだけど、部活漬けだったかな。先生が陸軍みたいな先生で、毎日部活日誌を書かされてたよ。タイムが1秒でも速いのが正義で、先生に認めてもらうことが自分の存在意義になってた。
「君だけ昭和だよね」と言われた大学受験期


ー大学受験はどうだった?
部活と文化祭が終わって、高3の9月から勉強し始めた。英語と国語は元々成績良かったんだ。
ーなんで成績が良かったの?
中学校のときにかわべ先生っていう23歳くらいの、かわいい先生がいて、英語で交換日記をしていたんだよね。ちょっと好きになって、英語日記をやり取りしていくなかで、英語は勉強になったかもしれない。willのところをあえて be going to にして、英語知ってる感出してたよね。笑
あと、本を読んでたから国語の成績は良かったかな。今の本は全然読んでいなくて、夏目漱石とか太宰治とか、いわゆる名作を読んでたかな。
ーなんで名作ばかり?
この言葉を聞いたのは結構あとだったんけど、人の評価がまだ定まってない作品を読むのは、時間がもったいないって思ったからかもしれない。死んで100年してまだ読まれているって、何かしら価値があるからこそ、残っているわけでしょ。だから、それを読めば何かしらの自分の糧になるって思ったかも。
ー志望校はどこだった?
立教大学を目指してた。言葉の響きで選んだんだ笑 基本的に塾には行かなくて、学校の先生に分からないことを聞くみたいな、昔ながらのスタイルだったかな。先生には、「君だけ昭和だよね」って言われてた。
ーそこから志望校変えたの?
ものすごい成績が伸びて、早慶上智を目指したんだ。高校の部活の成績が、頑張って見合うほどの成績じゃなくて、パッとしなかったんだよね。すごい情けない思いをして、3年間あれだけやったのに、何だろうこれって思って、最終的にベストを出せなかったんだよね。それが悔しくて、その悔しさをバネにしてそれがエネルギーになったんだよね。ベストはつくしてたんだけど、結果が見合わなかったのが悔しかったんだ。
ー学部はどこが良かった?
社会学部に入りたいなって思ってた。世の中の成り立ちを知りたいなって思ってたからかな。うちの両親は、サービス業で働いていたんだ。だから、多種多様な人がうちに来て、どうしてこの人たちは普通と違うんだろうって思ってた。それなのに、同じ日本人として世の中が回っていて、違いを飲み込んで一つの社会が出来ていて、それがどういうふうに違いが出来るのかを知ろうと思ったのがきっかけかな。
(そんな思いで選んでる人いたのね
何となく学部を選んでた自分が恥ずかしい。。。)
ー結局志望校は、どうやって選んだの?
慶應が一番かっこいいかなって思って選んだ。文学部を受けたんだけど、慶應の文学部は社会学を学べるから良いなって思ってた。
チャリで日本一周しようとした大学時代

1日10時間の猛勉強の末、現役で慶應義塾大学文学部に合格したそう。
ー大学入ってからどうだった?
友達が出来なかったね笑 サークルに安易に入るのも嫌だったから機会を逃して、ヤバイってなったときに山登りのサークル、ワンゲルに入ったって感じ。でも大学2年のときに、チャリで日本一周しようと思って、ワンゲル辞めたんだ。
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そして、青年は哲学に出会う


ー専攻はどうやって選んだの?
「哲学」以外考えてなかった。1年生のときに、難解な哲学の授業を受けて、こんな難解な勉強あるのかと思ってさ。その教授が全く分からないことを、1時間半ずっと楽しそうに話してたから、なんだこの学問はって思って興味が湧いたかな。
ー哲学専攻で何勉強してたの?
哲学で勉強したかったのが、「運命論」なんだ。人の運命って、結局何やっても神様が決めているんじゃないかって思っていて、それを変えられないかなっていうアイデアを探しに、哲学科に入ったかな。
運命は変えられるとか、やればできるとか、そういう言葉はすごい嫌いだったんだよね。結局裕福な家庭に生まれれば、大学に行けるし良い会社に入れるし。でも、貧乏な家庭に生まれれば、なかなか教育も受けられないし、のし上がるのってすごい大変でしょ。
俺も両親がどっちも大学に行ってなかったから、自分が慶應ってところまで上がると、親戚同士の中でも自分がアウトサイダーだったんだ。だから、人が生まれ持った宿命ってすごい影響するなって考えがあったんだ。
運命論とは何か?
ー運命論って何を勉強するの?
基本的には、「人の人生は決定しているんじゃないか」っていう説と、「人間にはいろんな可能性がある」っていう説が大昔から議論されていて、その流れをずっと勉強してきたかな。ソクラテスの時代から始まってて、今になっても解決してない議題なんだよね。
ー結論は?
「語り得ないことは沈黙しなければならない。」っていう言葉があるんだ。もう運命って、人があれこれ説明できるレベルを超えているから、無しにしようということなんだよね。だから、いま一生懸命に生きれば良いんじゃないかっていう結論。答えは出なかったんだ。
実は、「運命は決まっているじゃないか」っていう話が優勢だったんだ。ニュートンの物理学の考え方があったからね。
どういうこと?
物理学の考え方は、Aという物体にBという力を与えたら、絶対にCになるっていう考え方なんだ。だからそれを遡っていくと、結局人類誕生まで戻れるから、運命は決まっているっていう考え方なんだよね。
(むむむー。たしかにその話を聞くと、色んな法則が重なって、全ての行動が決められている気がする🧐)
でも、議論の中で大きな転換点があって、実際はそうじゃないんじゃないかっていう科学的な話があったんだよね。
ななな、なんですと?
量子論っていう話なんだけど、ざっくり言うと、Aという物にBの力が加わっても、どうなるか分からないっていう考え方なんだよね。だから、今まで全部決められていると思ってた物理学は、意外とふわっとしたもんなんだよっていうのがあったんだ。それで、今まで強かった決定論もちょっと弱くなったんだよね。それが大きな転換点かな。
「シュレーディンガーの猫」っていう有名な話知ってる?
知らないです。。。
猫を箱の中に入れて毒ガスを入れるんだ。普通の物理学の考え方なら死んでしまうじゃん。でも、開けるまで死んでるか分からないんだよね。見てみるまで、死んでいるか分からないっていうのが量子論の考え方なんだよね。量子飛躍って言うんだけど、普通はこうなるって言うことが、ピュンってジャンプする可能性があるっていう考え方。
なるほど。。すごいなこの世界。

シュレーディンガーの猫のイメージ図
「シュレーディンガーの猫」のパラドックスが解けた! 生きていて死んでいる状態をつくる【電子書籍】[ 古澤明 ]
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