私が教師ではなく、人材業界に就職した理由 ヒロユキ

ヒロユキ

生誕

1993年8月25日

出身

 日本 千葉県

出身校

千葉県立船橋高校

東京外国語大学

ニューヨーク州立大学 オールバニ校

職業

人材業界

人の生き方にコミットしたい

人材業界に勤めるヒロユキさん

ーあなたの夢はなに?

困っている人を助けたり、やりたいことを応援したり、その人が生き生きするために頑張りたい。人の生き方にコミットできるようになりたいと思ってる。やりたいこと含め、まだまだ模索中なんだけどね。

意識してたのは人との繋がり

ー小学生のときはどんな人でした?

低学年のときはやんちゃでキレやすい時期もあったな。でも歳を経るにつれて、人と関わるときは、「この人ってどういう人なんだろう」って考えて理性的に人と接するようになっていったんだ。だから敵は作らないタイプだったし、みんなと仲良くしてたと思う。その頃から、一生懸命で向き合ってくれてた先生のことが好きだった。

ー中学生のときは?

中学生のときも、人ともバランスをとるから敵を作らないし、先生の気持ちもなんとなく分かるから、先生と生徒の間をつなぐような存在だったかな。「山下がいると授業めっちゃやりやすい」って言われてた。そんなで頼りにされてた部分もあって、委員長とか学級委員とかやったこともあったね。

反面、真面目すぎて先生みたいに生徒にブチ切れたりとかしてたよ。笑部活はバスケ部に入ってたんだけど、3年生のときに顧問が異動になって、春休みの間俺がコーチみたいに練習を考えていた時期があったんだ。でも生徒だけでは限界があってなかなか雰囲気が締まらなかった。それに耐えきれなくて、練習中にブチ切れてコーンを蹴り飛ばして、体育館から出て行ったんだよね。部活で先生が出て行くってあるじゃん?それで生徒が謝りに行くやつ。あれを俺がやるみたいな笑

当たり前だけどチームメイト来ないわけよ。先生じゃないから。っか、俺は先生じゃなくてみんなと同じ立場なんだって気付いて。自分を顧みたかな。感情の出し方を考えるようになった。

(生徒でそれやる人いたんだな。。すごい熱意だ🤔🤔思えば僕も中学生のときは代表して先生に謝りに行ったなあ。。悪いことしてないのに。。)

先生って良いな。

中学校のときは、学校生活も充実していて、学校が好きだったから、先生のことも慕っていた。先生って良いな、楽しそうだなと漠然と思ってた。

受験シーズンになったとき、バスケもできて教員養成の有名な千葉大・筑波大への進学率が高かった船橋高校を志望したんだ。受験のために塾も3年生の夏ぐらいから始めたんだけど、なんとか志望校に合格できた。ホントに順風満帆だったと思う。
合格発表のあと、報告をしに学校に戻ったんだけど、そのとき、先生やクラスメイトが待っていてくれて。教室のドア開けたときに仲良い友達数人と先生がいて、こっちをバッて見てさ。思わずガッツポーズしたんだ。そしたらみんな駆け寄って自分のことみたいに喜んでくれて。すごく嬉しかった。
そのときに、「本当に人に恵まれたな」って思ったんだよね。そうやって人と繋がれているのって素敵な事でさ。そんなこともあって、そういう人の繋がりを感じられる学校の先生って改めて良いなって思ったんだよね。

ー高校時代は?

高校はみんな賢くて、責任感の強い人も多かったから、そこまでリーダーシップ取ることもなかった。クラスでは、自然と人との関係をバランスとっていたから、変わらず敵も作らなかったし、心地よかった。ある種中学の頃の燃えたぎるエネルギーは消えちゃったんだけど。中学のときは自然と「こうあらなきゃ」って思っていたんだと思う。

部活では一年生のリーダーの立場だったんだけど、夏ぐらいに辞めたいなって思ったときがあってさ。怒られてばっかで全然チームに役立てている気がしなくて、自分も楽しくなくて。先生に相談して、結果的に続けることにはなったんだけどね。それからは、とりあえず頑張ろうって思って、自分がチームに貢献できる事はなんだろうって考えた。それで「シュートが自分の持ち味だ」という結論に至って。持ち味を磨くことに時間を注ぐようにして、そしたら少しずつ自信もついて活躍できるようになってきて、試合にも出してもらえるようになったんだ。

(王道かっっ😭😭!!!)
(部活でたくましく成長する高校生の熱い青春がここにあるっっ😭😭!!)

高校のときに一番影響受けたのは、高1のときの担任の英語の先生。プロ意識が高かった。生徒がみんな、ちゃんと英語が出来るようになることにこだわって教えてくれて、勉強の仕方、ものの考え方を教えてくれた。すごく感謝してるし、尊敬もしてる。その人が東京外大出身の人で、自分の進路にもすごく影響を受けた。もちろん部活の先生にもお世話になったよ。先生になろうっていうのは何となく決まってたから、「何の先生になろう、どういう先生になりたいんだろう」って考えながら高校生活を過ごしてた。

視野が狭い自分がこのまま先生になって良いのか?

高校進学の時点では、教員になるんだったら教員養成で有名な大学に行くかと思ったんだけど、自分が中学校のときに真面目で、一つのものだけを見て視野が狭くなってしまうことがあったから、そこに問題意識があったんだ。中学校の部活の顧問の先生に、「お前先生になるんだったら世界一周くらい行っとけ、今のお前の視野の狭さだと先生できねえぞ」って言われてたから、自覚してたんだよね。もちろん教育のことをまっすぐ勉強する人がいていいと思うんだけど、視野の狭い自分の場合は、教員養成の大学入って教育のことしか勉強しなかったら、頭ガチガチになってしまいそうだなって思ってしまって。それだったら、海外のことに精通していて、英語の勉強がちゃんとできるところに行こうと思って東京外大を目指したんだよね。

それで外大に合格した。

やまお

現役だもんね。すごいよね。予備校はいつ入ったの?
部活を引退した高3の6月かな。

ひろゆき

やまお

すげえな。それまでは何やってたの?
学校の勉強を中心にしてたよ。

ひろゆき

やまお

マジで!すごいな。成績は良かったの?
英語は良かった。でもそれ以外は、中の上か中の中くらいかな。

ひろゆき

やまお

マジか。すごいな。外大の英語科なんて英語の最高峰だよね。それを目指したんでしょ?
そうだね。外大の先生がいたから、それがロールモデルだったんだよね。

ひろゆき

(僕も学校の勉強だけしてたって言いたかったです🐻🐻かっこいいよね。)

バスケ部で学んだ課題解決の方法

大学の最初は、部活に入らずに英語の勉強をして教員になる準備をしようと思っていたけど、結局バスケの体験行ったら楽しくて、バスケ部に入っちゃったんだ。笑 でも勉強との両立が結構大変で。「何のために大学入ったんだ、部活辞めた方がいいかな」って思ったこともあった。でもそのうち大学生活にも慣れて両立できるようになってきたから辞めないで済んだ。結局振り返ってみると、大学はバスケと勉強だけじゃなくて、アカペラとかバイトにも時間使ってた。

(やること多いな。鉄人かっ)

部活で印象的だったのは、一個上の先輩。上位リーグ昇格目指してチームでこういうバスケをするって決めて、そのために緻密に、ビジネスみたいな計画を立ててた。チームの現状についてミーティングしたり、ビデオを見て振り返りとかもかなりしてた。高校のときは、先生から言われたことをやりきることしか考えていなかったから、「どうやったら上手くなるか」って意外と考えていなかったんだなって気づいた。そこで学んだことを踏まえて、自分がキャプテンのときは監督と相談しながらチーム運営を考えてた。でも自分の代でも昇格はできなくて結果は出せなかったから、悔しかったし、今でもよく思い出す。

大学の部活を通じて思ったのは、「行動が気持ちを作る」っていうこと。気持ちがあるから行動していく、という順序だけではなくて、とにかく行動していくことで、気持ちができていくって思ったんだ。

俺は結構自信がない人間でさ、「自信ってどうやって身につけたら良いんだろう」って考えてたんだ。例えば、「Aという技術ができるようになりたい」って思ったときに、自分でチームの全体練習の前に30分Aの技術を向上させるための自主練をする。それには二つ意味があって、「自主練によって技術が向上する」ということと、「自分は毎回30分、Aの向上のために時間を使っている」っていう行動事実。行動ができているからスキルは身につくし、「自分は行動できている」というその事実から自信が生まれる。上達したスキルだけじゃなくて、自信によって、試合でのパフォーマンスがさらに向上することがあるなって実感したんだ。

行動していくことで、気持ちが形成されていくことを学べたのは、自分にとって大きかった。だからしんどかった経験も多かったけど、学びが大きかったのは、やっぱり部活だったなって思う。

(真面目キングだなあ。。すごいかっこいい。。こんな真面目な人が同世代で活躍していたんだなあとしみじみ😩😩とほほ)

自分を見つめ直した留学経験

「海外で生活がしたい、これまで見てないものを見てみたい」って言う思いから、大学三年で休学して留学に行ったんだ。黒人音楽が好きだったからニューヨークにしようと思って、マンハッタンからバスで3時間くらい北に行ったオールバニーっていうところに半年くらい大学の語学コースに参加してた。留学では毎日日記書いていたんだ。大事な時間だから感じることは全部メモしておこうと思ってさ。そこで気づいたことはたくさんあったよ。

一つは、「自分は、実は人に対して関心が無いんじゃないか」って思ったこと。大学の寮で、ルームメイトと同じ空間にいたときに、積極的に話しかけない自分がいるのに気づいて。俺は英語ができないから話せないのか、それとも話すことがないから話さないのか。でも話そうと思えば英語が拙くたって話せるじゃん?そこで、「周囲の人が何をやっているのか、どんな人なのか、特に関心がないのでは?」と自分のことを疑い始めて。自分は教員になりたいってずっと思っていたのに、「人に関心ないって、教員としてやばいな」って、結構ショックだったんだよね。

あとは、「日本にいたとき、いかに自分が流されていたか」ってこと。自分がやりたいと思って始めた、英語とかバスケとかアカペラとか、全てが「やらなければならないこと」になっていて、それをとにかくこなすことで毎日時間を過ごしていたんだよね。留学行くとそんなにやることなくて、その分ゆっくり自分を見つめる機会になった。「俺はなにがやりたいんだろう」って結構考えた。いかに俺が縛られて周りのコミュニティーのなかに生きていたかって思い知ったんだ。

人に関心がないのかもしれないし、やりたいこともないのかなって思ってさ。自分は先生になりたいってあれだけ思っていたけど、結局どうだったんだって日本を離れてみて思ったんだ。自分を見つめ直して、今まで見なかったものを見れたという意味で、留学という経験は尊かったかな。

ーお金はどうしたの?

親に出してもらったよ。半分くらいは貯金していた分。でももっと高かったから残りは親に出してもらった。

(貯金もしてたなんて、偉いなあ👦)

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