人間は、生存と伝達を目的に生きている説 何者かになろうと焦る20代に捧ぐ

世にも怖い漫画の一つに、『5億年ボタン』という作品があります。

この漫画の設定がめちゃくちゃ怖い。

あるボタンを押すと100万円が手に入るが、その後5億年人間もいない、自然もない、全く何もない世界で生き続けなければならない。そして、5億年経ったあとは、全く記憶が無くなり、現実世界に戻って100万円が手元に入るという話。

想像するだけでもゾッとしますが、なぜこの話に恐怖を覚えるのか考えると、人間が本質的に恐れていること、そして成し遂げたいことが分かるような気がします。

人間は、生存と伝達を目的に生きている説

解説していきます。

そもそも恐怖は何のためにあるのか?

先程の話でも恐怖を覚えましたが、それではなぜ恐怖というものがあるのでしょうか?

それは、人間に「あるべきこと」を促すだめだからではないでしょうか?

分かりやすいのは、「生存」という、人類が「あるべき」ことを促すための恐怖です。

危険な目に遭ったときに恐怖を感じるのは、「生存」しないこと、つまり「死」を感じさせるから。

奇妙な現象が起こって恐怖を感じるのも、今までの歴史の中でコントロールできない不思議な現象で命を落としてきた人類にとって「死」を連想させるので、恐怖を感じます。

ホラーや心霊現象で恐怖を感じるのも、幽霊やあの世の世界など、「死」との関わりが強いからです。

「死」は人間にとって「あるべき」ことではありません。つまり、人間は「死」を避けて、「生存」しなければならないと、恐怖が促しているのです。

生存を促す恐怖と、伝達を促す恐怖

先程の話では、恐怖は「生存」を促すためにあると言いました。それでは最初の『5億年ボタン』で生じる恐怖は、何を促しているのでしょうか?

それは、「伝達」なのではないでしょうか?

例えば、『5億年ボタン』で最も恐怖を感じさせるのは、5億年というよりも、自分以外全く何もない世界で生き続けることでしょう。

これがもし、5億年人間がいる現実世界に生き続けるのであれば、恐怖はかなり薄れるはずです。

それでは、条件を少しづつ変えていきます。

①5億年、人間がいない現実世界で生き続けること

②5億年、人間はいるが誰からも認識されない現実世界で生き続けること

③5億年、人間がいる現実世界で生き続けること

どうですか?①から③になるにつれて、恐怖が薄れていきませんか?

そりゃ当たり前なんですけれども、ここで分かるのは「恐怖」を感じるのは、人間に「伝達」が出来ないからじゃないですか?

人間がいたとしても、何も話せない、伝えられない、「伝達」が出来なければ恐怖を感じます。

つまり、我々が持つ恐怖という感情は、「生存」だけでなく「伝達」も促します。

人間が生きる理由と、現代社会に生きるうえでの恐怖

地球が誕生して、生物は子孫を繁栄させることを目的に生き続けました。そのなかでも人類は、ただ自分が生存して、次の世代に種を残すだけでなく、「言葉」や「知恵」、「建造物」、「文化」など、後世に何かしらのメッセージを伝達をすることで、種を繁栄させてきたと言えます。

つまり、人間は、「生存せよ」というプログラムだけでなく、「伝達せよ」というプログラムも色濃く入っているような気がします。

かつての人類は、生きるだけに必死だったので「生存せよ」というプログラムが基本的に作動していました。

一方、現代社会に生きる我々はほとんど生存するために必死になる必要がないので、「伝達せよ」というプログラムが作動していきます。

そのため、「わたしはどう生きるべきか」「私が生きる意味は何か」「自己実現するにはどうすれば良いか」という発想が個々人に生まれてきます。

なぜなら、自分自身が他の人間と違った生き方をして、他の人間よりも秀でていないと、後世に必要な「自分にしか残せないメッセージ」を残すことができないからです。

だからこそ、今の若者は「伝達せよ」という恐怖と戦いながら、SNSやブログやなんやらで様々な媒体で「伝達」をしているのかもしれません。

動物は自殺をしません。

これは、「生存せよ」というプログラムが強くて、ただ生きていれば恐怖ののうな負の感情を持ち合わせていないからかもしれません。

一方、人間は「伝達せよ」というプログラムもある分、何かしらを残さなければならないという切迫感を感じたり、自分がこの世に生きる意味を見出さなければならないと恐怖を感じたり、自分は何で生きているんだろうといった、負の感情も出てきてしまうかも知れません。

「伝達」をするために、頭を使ったり、人が喜ぶことを考えたり、何かを作ったりするシステムがたくさんありますが、これがかえって自分は価値がないと感じさせるきっかけを与えてしまうのかもしれません。

「伝達」は、いま生きる人間たちに伝えるだけでなく、後世にも遺すという意味でも必要です。だからこそ、多くの人が何者かになって、何かしらを後世に遺すことに躍起になっている。自分が生きた証を残すべく、偉大なる人間にならなければならない。成長していきたい。そのような思いを抱えると同時に、苦しみや恐怖も感じているはず。

しかし、内村鑑三著の『後世の最大遺物』という本ではこう書かれています。

「私が考えてみますに人間が後世に遺すことができる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできる遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。」

何かを伝達しようと必死になって、もし疲れてきたら、あなたが生きていること、その生涯こそが、私たちや、これから生まれてくる人類に必ず伝達されているんだということ。そして、あなたが生きる意味は、生きているだけで存在しているということを忘れてはいけないなと思います。

無闇に苦しまなくても良い。

生きているだけで、素晴らしいのだと思います。

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