生誕
1993年5月20日
出身
日本 埼玉県
出身校
慶應義塾志木高等学校
慶應義塾大学
職業
映像制作会社
いつかは自分の映画やドラマを作りたい!なんて思ったことありませんか?自分の考えた物語が、世界各国で映画館やテレビを通して伝わっていく。その物語が喜びや感動を与え、人々の心の片隅に残り続ける。そして10年後・20年後になっても、自分が作った作品が世界のどこかで流れて、誰かの人生を変えているかもしれない。そんなロマンを与えてくれる映像監督の仕事。一度は憧れたことは無いですか?でも、そもそも映画監督ってどうやってなるの?もう大学に入っちゃったから映画監督になれなくない?なんて思っている方は多いはず。
そこで今回は、映像系の大学には進学しなかったものの、映像業界に就職して数々の自主映画を作っている鯨岡さんに取材しました。なぜ、映像作品を作ろうと思ったのか、どうやって就職先を選んだのか聞いてみました。この年齢で映画監督になるのは無理だと思っている君!これを読めば、今からでも遅くないと気付くはず!
鯨岡弘識(くじらおか ひろのり)1993年生まれ。大学生時代から自主制作映画を作り始める。大学卒業後は映像制作会社に入社し、TVドラマの助監督業務などを行う。入社後も自主制作映画の制作を続け、自ら手がけた『FROM TOKYO TO TOKYO』では国際短編映画祭SSFF&Asia2018に入選。2019年には『メイリンの決めたこと』がSSFF&ASIA2019入選、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019 国内短編コンペティション部門に入選している。
【予告編】『メイリンの決めたこと』
助監督という仕事
ーどんな仕事をしているんですか?
基本的には、助監督業務ですね。助監督というのは、ドラマ・
(この年齢で助監督やっているってびっくり😳)
自分がまさか映像の世界に入るとは思っていなかった
大学で法学部に在籍していた鯨岡さん。最初は映像業界に入るとは思っていなかったそう。
ーいつから映像の世界に入ろうと思っていたんですか?
正直なところ、大学に入学した頃は映像業界の道に進むとは思ってませんでした。
(自主映画を作ってから映像業界を意識するまでテンポ早くない?でも人生の選択肢を決める期間って実は短いんだよね。)
ーなぜ映像業界の道に進もうと思ったんですか?
自分がこれからも映画を作っていくために、2つの方法があったんですよね。1つ目は、
そこで、自分が段取りを学んで、
誰かの心に残る映像作品って素晴らしいと感じた
鯨岡さんが映画を作るのは、物語のメッセージが誰かを喜ばせて、誰かの心に残るから。
ー自分で映像作品を作りたいという熱量はどこから生まれてたんです
正直それは分からなくて、
(ふとした瞬間に思い出す映画のシーンが思い浮かぶことってあるよね。そんな作品を作れるって素敵なことだよなあ🐥)
人間ドラマを作る理由
人間ドラマで人間のセンシティブな部分を上手く描くことで、メッセージを世の中に発信することができると語る鯨岡さん。
ーなぜ人間ドラマが良いんですかね?
物語を作る人って、
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