新しい医療システムを作りたい。元不良少女が目指す道 ナヨン

ナヨン

生誕

1994年1月6日

出身

 日本 東京

出身校

大妻中野中学校・高等学校

慶應義塾大学

職業

IT業界

新しい医療システムを作りたい

IT業界に勤めるナヨンさん

ーあなたの夢はなに?

社会保障としての新しい医療システムを作りたい。

日本は医療制度が壊れようとしていて、財政も逼迫している。自己負担率も今3割だけど、これから人口動態の変化に応じて、上げることも検討しなければならない。見直しが必要だと言われているんだよ。

今はIT企業で、病院に電子カルテの営業をしているよ。大学生のときにアメリカの病院に留学して、そのときに患者さんの情報が病院や施設で共有される医療システムを知ったんだ。日本でも、患者さんの情報を共有するシステムが普及すれば、患者さんのニーズが一番に分かるから良いなって思って、電子カルテを扱う会社に入ったんだ。医療情報を繋ぐことで、みんなが安心して生活できる社会を作れると思ってる。

おじいちゃん、おばあちゃんと暮らしてた小学生時代

ー小さい頃はどんな人でした?

やんちゃだったよ。女子と遊ぶより、男子と遊ぶタイプかな。兄、姉、私、妹の4人きょうだいで、上のやり方を学ぶから、一番美味しい位置だった。代表委員キャラで、自分がリーダーじゃないと気が済まないタイプだったかな。あと、うちはきょうだいが多かったから、おじいちゃんとおばあちゃんの家で生活する人と、実家で生活する人を分けてたんだよね。

どゆこと??笑

棲み分けだったんだよね。私はおじいちゃん、おばあちゃん家で暮らしてたんだ。小学生のときはおじいちゃん、おばあちゃんと過ごした時間が長かったの。そこで、医療という軸は生まれたかもしれない。

(意外と小さい頃の経験が、自分の生き方を決めることってあると思います🤓🤓)

反抗期だった中学・高校時代

中学校は、受験で私立の女子校に入ったの。兄、姉どっちも受験だったから、訳も分からず受けた感じ。算数の偏差値、26だったけど笑

ー中学生のときはどうだった?

中1、中2は部活ずっとやってたかな。でも、部活は中3で顧問と揉めちゃって辞めちゃった。中3からはスカート短くして、ずっとタピオカ飲んでたかなー。

女子って、タピオカ好きだよね。

ー高校の頃は?

高1のときが一番ひどかった。女子校、男子校の集まりで他校の繋がり作って、渋谷のセンター街集合で、プリクラ撮って、カラオケ行ってたかな。めっちゃ反抗期だったよー。スカートすごい短くしてて、でも校則で膝見えちゃいけないから、先生にスカート脱いで直してもらいなさいって言われるみたいな。ほんとうぜえ、絶対潰してやるって思ってた。

(パンクだな😈😈)

中学3年生から高校1年生のときが一番やばかったそう。

勉強に目覚めて、助産師を目指す

高1の冬ぐらいにめっちゃかっこいい男子校の人に会って、その人が進学校の人だったの。でも、私学年で成績が下から10番目だったんだよね。だから今の私は魅力的に映らないなと思って、勉強しようと思った。勉強しないと、振り向かせられないかなって思ってた。

でも、途中で勉強する目的が変わって、そのときに国際協力に興味を持ちだしたんだよね。当時母親が大学院に通ってた関係で、国際協力の勉強会で講演を聞きに行って、将来は助産師になって、国際協力をやりたいなって思った。それから大学受験にスイッチしたかな。

高2のときは受験勉強始めたら激しいタイプで、1か100かみたいな感じだったから、一生懸命勉強してた。本当に極端で、一日自習室で勉強して、誰とも話さないときもあって、どしたっ?って言われてた。

ー志望校はどうやって決めた?

自分がちゃんと成長できる環境じゃないとダメになると思ったから、レベルが高いところ受けようと思ったんだよね。それで、第一志望は大阪大学、第二志望は慶應義塾大学で、看護の学部を受けてたよ。医療の専門性が高いところも魅力的だったけど、総合大学が良かったんだよね。大学って4年間で専門以外のことも勉強出来る、良い機会だと思ってたから、総合大学しか受けなかった。浪人しても良いやって思ってたかな。

ーなんで看護学部?

当時は助産師になりたくて、助産師になるには看護師の資格が必要だったから看護学部しかなかったんだ。だから、助産師の免許が取れる総合大学に絞ったの。受けたのは阪大と慶應の2校だけ。滑り止めは嫌で、行っても納得しないから、受けるの無駄だなって思ってた。自分が納得しないと、ダメなんだよね。

それで、学年190/200位から慶應に受かったって感じ。私の代は早慶で延べ4人くらいだったから、先生にはまさか、あの子がねと思ってたと思う。今考えると、反抗期の中3も高1も必要な時間だったかも。あのときにモチベーションがどん底で、目標無かったから。それから目標つくって達成していく喜びがあったから続いたのかな。

(ビリギャルっぽいなあと思いました👏👏)

マシーンになるのを恐れた、大学時代

ー大学入学後は?

大学って好きな授業取って好きな時間に行って勉強すると思ってた。でも、看護学部は国家試験に合格させることも目的の一つだから、必修カリキュラムが文科省に決められてて、休み時間あんまりないし、授業行ってもつまらないし、やることが決められすぎて嫌だった。理想と現実との乖離があって、勉強嫌になったよね。それで大学2年の時に、サクッと留年した笑

授業でリアクションペーパー書くと、出席になるんだけど、そこにみんな同じこと書いていて、気持ち悪いなって思った。書けたら点数になるというのが、気持ち悪かったんだ。私はやばいところに来てしまったなっていう感覚があったんだよね。それってみんな同じマシーンで、大学がマシーン製造機みたいになってるって思ったんだよね。

大学入るときに名前を「金 娜英」にして、本名を名乗ろうと思ったの。それが私のアイデンティティーだなって思って。榊で1番になるよりも、キムで1番になったほうが目立つよね。日本のなかで暮らしてるけど「榊 恭子」だと、本当の自分を出しきれてない感じがしたんだ。

「榊 恭子」は、名乗っても名乗らなくても大丈夫。住民票の写しみたいな公的な書類には一応「榊 恭子」って載ってる。

私には本名と、通称名があるの。通称名ってもともと昔に韓国併合で、韓国人を日本人みたいにするために色んな人に名字をつけていたのが始まりなの。戦後は韓国名付けるといじめられるから、日本名付けてたんだ。でも今は戦後じゃないし、いじめられることもないから、キムで良いかなって。キム生活がスタートしたんだ。

ーどうだった?

こっちの方が私らしいなって思った。「きょうこ」も良いんだけど、「ナヨン」のほうがダイレクトじゃん?そういう個別性、「自分とは何者か」っていうのを高校生の頃から考えていたんだけど、「きょうこ」だとそれがあまりにも無さすぎるなって思ったんだよね。

(人間てみんな違うんだよね。だから「違い」が明らかだと、実は自分とは何者なのか考えやすいんだろうと思う🤔🤔)

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