はい今回のテーマは、アーティスティックな女子について。
みなさん、アートやカルチャー系のおしゃれガールの友人を思い浮かべてみていただけるだろうか?
はい。いま!
思い浮かべてみて欲しい。
記憶を遡り
最もおしゃれなガールを思い浮かべてみていただきたい。
そう。
その人。
それでは、その人のLINEのプロフィールを確認してみよう
睨んでない?
普通の顔していない。世の中に恨みがあるかのような視線を送っているはずだ。鋭い視線をこちらに向けている。それはまるで獲物を狩る鷹のように。まるで、世界を憎んでいるかのように。まるで、兄貴に好きなおもちゃを取られた弟の好戦的な眼差しのように。睨んでいる。睨み。ニラみ。ニラ。ニラレバ。ニランダカー。ニライジャウッド。
というわけで、なぜ、世の中のおしゃれなアーティスティック女子は睨んでいるのだろうかという摩訶不思議な疑問を、今回の記事で解消して参りたいと思う所存である!
アートと睨むは、似ている
まず、アーティスティックな女子の生態を分析してみよう。
アーティスティックな女子は基本的に、アートに関して様々な知識を得ている。小説、映画、演劇、絵画など、幅広いアートの知識に富んだ女性の総称を、アーティスティックな女子と定義できる。
では、そもそもアートとはなんなのだろうか?芸術とは一体何のことなのか?ここで著名な芸術家の名言をもとに「アートとは何か」を紐解いていこう。
芸術は悲しみと苦しみから生まれる。わたしは立ち止まりはしない。
パブロ・ピカソ
芸術は爆発だ。これは随分前からの私の信念であり、貫いてきた生き方だ。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。
それが爆発だ。
岡本太郎
世界を変えようとする気がないクリエイターは辞めたほうがいい。
ヤン・シュヴァンクマイエル
これらから得られる洞察として、アートな行為は人間が持つ悲しみや苦しみなどの負の感情を表に表出すること、エネルギーをぶちまけること、そして、世の中に変化をもたらすことだ。キーワードとなるのは、悲しみ、苦しみ、怒り、反抗、革新、変革など。
このキーワードに関連した人間の表情は「睨む」ということではないだろうか???
世の中のルールや秩序に対して、疑いの目を向け、自分が持つエネルギーを発散させる。
これは、「睨む」行為につながっていくはずだ。
笑顔のはずがない。
アーティスティックな表情とは、「睨む」ことなのだ。だってそうだろう。優れたクリエイターのインスタで笑顔でピースしている様子を見たことがあるか?ないはずだ。
笑顔なんかするな。
睨め。
と、恐らく東京藝大でも最初の講義でそう教えているに違いない。
睨むことは、マイノリティーなアートな世界にいる
アートとは、常にマイノリティーの世界だ。商業映画は多くの人が見るが、アーティスティックな映画は少数の人しか見ない。大量生産されたものより、1点もののほうがアートだ。つまり、アートとはマイノリティーの世界に所属している。
表情の世界においても、笑顔はマジョリティーで、睨むは、マイノリティーだ。
睨むことは、マイノリティーで、アーティスティックワールドに適しているのである。
奇抜な服装や、見たこともない服装をしている人を誰かがアーティスティックと呼ぶだろう。そう。ありふれたものはアートの世界とは遠いのだ。そうだろう?
写真を撮るとき、大多数は笑顔だ。睨んでいるやつなんて相当少数。0.2%くらいなんじゃないか?
睨み顔のアーティスティックな女性有名人の影響
今までの話を踏まえて、睨む行為はアートと近いと述べたが、メディアがアーティスティックな女子を睨ませることに拍車をかけている。
なぜなら、アーティスティックな女性有名人のプロフィール画像が、基本睨んでいるのだ。
例えば、
あいみょん
小松菜奈
モトーラ世理奈
だ。
ググってみて欲しい。これらのアーティスティックガールを!
初っぱなの画像から睨み散らしているはずだ。どうしてそんな睨んでるんだ??
そう!!
アーティスティックな女性有名人が、プロフィール画像で睨んでいるのだ!!
だから、「我こそはアーティスティック女子なり」と自覚している女子は、それに影響されてついつい睨んでしまう!!!
こうしてアーティスティックな女子は、どんどん睨みガールになってしまう。
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