私がHopeModelを立ち上げた理由 やまお

これからの人生に覚悟を決めたとき

それで父親も僕と一緒に仕事どうするかみたいになったんです。家の中で2人も失業者が出ました。社会人をドロップアウトした父親と、社会人になれなかった自分。僕の父親は、いつも優しくて怒ったこともなく、仙人のような人です。ただ時々土日にかかってくる仕事の電話では厳しい口調になっていたので、仕事のことは家庭に持ち込まない人なんだなと子供ながらに思ってました。

そんな父親が失業し、母親は半分気が狂い、兄貴が当分家にお金を入れることに。どうやら兄貴は僕の学費でお金がかかるだろうと、家族の生活費以外にも余分にお金を入れていたみたいです。これからどうなるのか自分の道さえはっきり見えていないのに、家族の進む道も真っ暗になりました。ここで僕が無事に就職していたら、家族に希望がまだ見えていたはず。それなのに僕は、足手まといで親にお金を払ってもらって留年して、また就職活動をする。

情けないなと心底思いました。人生で初めての大きな大きな挫折を味わいました。僕はまだまだなんだ。人間としてちっぽけなんだ。大人になることを許されない、甘ちゃんなんだと知り、めちゃくちゃ落ち込みました。周りの皆が無事に就職が決まっているのをおめでとうと言いながら、一人で電車のなかで涙を流していたときもありました。「失敗した人」という烙印を押された自分はなんてみじめで、役に立たない人間なんだろうと、不甲斐ない自分が嫌いになりました。

いきなり人生のルートから引き摺り下ろされた僕は、父親のリストラも重なり、ひとしきり落ち込んで、心に決めました。「変わらなければならない」と。まず、やったことは「挫折 偉人」の検索です。小さい頃に読んだ伝記や歴史の教科書に載っている偉人は皆、挫折や失敗などの苦境に立たされていたということを知っていたからです。明らかに僕のこの経験は「挫折」だと思ったので、偉大なる先人たちの挫折から立ち上がったエピソードを読んで、自分を奮い立たせようと思ったのです。

ケンタッキー創業者のカーネルサンダース、ハリーポッターの作者のJ・K・ローリング、チャーチル、リンカーン、エジソン、アインシュタイン、ウォルト・ディズニー、スティーブン・スピルバーグ、吉田松陰、本田宗一郎など、名だたる偉人や著名人は苦難や逆境を乗り越えていたことを知りました。まるで失敗は成功のための必須条件かのようでした。そこで僕はふと思ったのです。「これはとてつもなく大きなチャンスを与えられているのではないか」と。失敗や挫折なんて、しようと思っても訪れないし、特に僕の周りではそんな経験しているやつなんていない。これはビッグチャンスだと思ったんです。

僕は歴史上の偉人に憧れていました。いつか坂本龍馬みたいに日本を変えたい、チェゲバラのように革命的なことを起こして、自分の生きた足跡を後世に残したいと思っていました。その歴史上の偉人のような成功者の必須条件の「挫折」を味あわせてもらっている。これは、神様が与えてくれた大きな壁であり、チャンスなんだと感じました。これはやるっきゃないと覚悟を決めました。この挫折をバネにして、高く飛び上がってやろうと思いました。

変化した自分

それからの自分は、人が変わったのごとく行動を起こし始めました。ただでさえ、親に迷惑をかけてお金をだしてもらって就職留年をさせてもらっている。これはがむしゃらに這いつくばってでも内定を得なければと自分に鞭を打ちました。今までの就職活動とは打って変わって、自分のやりたいことを本気で考えて、今まで小馬鹿にしていた意識高い系になり、ベンチャー企業でインターンをして大人と話す機会をひたすら作り、説明会では質問をしまくり、社員さんから名刺をもらって、何十回もの社員訪問を重ね、ビデオ撮影などで念入りに面接対策を行い、ありとあらゆる就職対策を続けました。

その熱心な態度のおかげか、なんでも相談できるメンターさんに会って無料で就活相談に乗ってもらったり、今まで経験しなかった特別セミナーに呼ばれたりと、前回の就職活動では全く見えなかった世界を見ることが出来ました。

二度目の就活で成功、そして変化した人生観

就職留年をしたあとの僕の就活では、言葉に心がこもっていました。体の芯から出てくる、自分のやりたいことを上手く言葉に落とし込めるというものでした。前回の就職活動では、軽かった発言が、今回の就活ではどっしりと思い言葉に変わっていました。そしてあくまでも謙虚に、腰を低く、真摯に自分のやりたいことと、これから目指すことを情熱を持って面接官に伝えていました。

そして勝ち取った第一志望の内定。内定の電話をもらったとき、膝からくずれて号泣したことを今でも覚えています。挫折から這い上がって、勝ち取った。よくやったぞ自分。諦めなくてよかった。その後は、今まで支えてもらった家族、友人、メンター、先輩、社員訪問を受け入れてくれた方々全員に感謝し、そして最後に二年間の就職活動で常に前を向いて諦めなかった自分を褒め称えました。

気づけば、最初の就職活動をしていた自分と、現在の自分は大きく変化していました。自分の人生を本気で考えるようになり、そして失敗したとしても立ち上がることが出来るのだという自信がついていました。レールから外れながらも、自分で道を見つけ、多くの人に支えてもらいながら、また自分の道を歩んでいくというプロセスを経験した僕は、自分の人生の生きるための強さを得ることが出来たと思います。

内定を勝ち取ったあとの僕は、今までよりも自分のやりたいことをやろうとする意識が強く芽生え、好奇心も旺盛になり、活発に行動を起こしていきました。フリーハグ、ヒッチハイク、旅など、自分が興味の惹かれることにどんどんチャレンジしました。そして就職留年で支えてくれた方々の恩返しとして、これから就職活動をする学生たちに向けて「就留して分かった就活の方法」という本を書いて出版しました。

「就留して分かった就活の方法2018年度版」

私がHopeModelを立ち上げた理由

入社後も僕の活動は社内外でも続いています。会社では誰もやっていないようなビジネスを企画し、実現してきました。プライベートでは、自分は何か発信するものを創ることが好きだと気づいたので、映画やホームページなどを作ってきました。そして、気づいたことは、僕は自分でメディアを創りたいのではないかということです。マスコミに入ったのもその気持ちがあったからなのではないかと思います。

メディアを創るといったらやることは決まっています。それは就職活動で僕を救ってくれた、偉人たちのエピソードのような、希望をもたせてくれる人々の生き様を伝えることです。そして、「“個”として活躍する人を応援してくれる」メディアです。僕は今でもリストラされた父の精気が抜けた背中が脳裏にフラッシュバックします。そのときに思うのは、「一生個人の力で食っていけるようになろう」ということです。

父親は結局、繊維系の企業にいたので、そのノウハウや人脈を活かして自分でお店を始めました。ただ、もし父親が何か個として生きる術を得ていたら、リストラ後もどこかの会社で働けていたと思いますし、お金にも不自由がなかったのではないかと思ったんです。今はテクノロジーが発達して、個人の力でも十分にビジネスが出来るようになりました。ファンや購読者を抱えているインフルエンサーは、その立場を活かしてお金を稼ぐことが出来ます。

何かを突き詰めた人は、会社に勤めなくても一生個人の力で食っていけると思います。では、その個人を応援するメディアを創ることは出来ないか、そしてそのメディアで発信された個人の生き様が誰かの希望のロールモデル(HopeModel)となって、誰かの一歩を後押しすることは出来ないかと思い、このHopeModelというメディアを立ち上げることにしました。

おそらく、現在活躍している著名人は、このメディアで取り上げられなくても、知名度があって“個”の力で活躍していくはずです。そしていつも思うのが、取り上げられている著名人が年がすごい離れていたり、すごすぎたりすると、あまり影響は受けにくいような気がするんです。僕が就職留年したときに、大きく影響を受けていたのは、同じく就職留年して、当初から夢だった企業に内定を勝ち取っていた何人かの先輩の話です。

自分と年が近かったり、境遇が似ていたりすると、自分も何か出来ないかと思いやすく、影響をモロに受けると思うんです。なので、このメディアでは、これから何かを成し遂げようとする、“個”の力で活躍しようとする方々を取り上げます。きっとその方々のほうが、知名度や信頼度を上げるメディアの力が必要だし、悩める若者にとって大きな影響を与えるはずです。

最後に、

HopeModelが、あなたの夢への一歩を後押しとなるとを願います。

どうぞよろしく。

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