目標は決められない 私がフリーターからスタートアップのCTOになるまで 手島悠之 

生誕

1990年10月2日

出身

 日本 岡山県

出身校

倉敷天城高等学校

筑波大学 生命環境学群 生物学類

職業

エンジニア

今回はスタートアップ企業のエンジニアとしてCTOを務める手島さんに取材しました。聞くところによると、大学卒業後はTSUTAYAでアルバイトしていたフリーター期間があったそう。どのような人生を歩んで、企業のCTOに務めるようになったのか詳しく聞いてみました。

手島 悠之(てしま はるき)1990年岡山県生まれ。筑波大学生命環境学群卒業後、2年間のTSUTAYAでのアルバイトを経てエンジニア職としてアドウェイズに入社。半年後に退職し、アドウェイズの同期の西川とMatcher株式会社を立ち上げる。現在は同社取締役CTOを務める。

完全放任主義の両親に育てられて

小2のときに父親が「家族を養うつもりはない」と宣言し、母親がオーガニック食品系の飲食店を始めた。

ー小さい頃の夢は何でした?

小さい頃は忍者になりたかったです。忍たま乱太郎』を読んで勉強して、非常食としてファンヒーターでカピカピにした梅干しをずっとポケットに入れていたくらいです。いつ暗殺の依頼を受けても大丈夫でした。あとは、マジシャンを目指したり、でんじろう先生を目指したり、特にそんな野望があったわけではないです。

高校受験でも自分の行ける範囲の進学校に決めました。親が完全放任主義で、全く勉強しろって言われたことがなくて、自由だったんですよ。母親は一度も就職したことがなくて、父親は理系の大学に行ったあと美術系の大学に入り直して、卒業後には学芸員になって、今では自営業をやっています。両親がどちらもレールに添えていない人生を送っていました。ただめちゃくちゃ楽しそうで、すごい貧乏な時期もありましたけど、全くそれを苦と思わなかったのを見てるので、良い大学に入って良い会社に入るような、いわゆるちゃんとした生き方をしたいと思ったことはないです。あとから両親に聞いたら、我々がこんな感じだから何にも子供に言えないって言っていましたね。

(両親の影響がでかいな。。。☺️)

アフリカの飢餓を救うために国際学部を受けようとする

中学時代は弱小サッカー部に所属し、0-25で負けたことがあるくらい弱かった。

ー大学はどうやって選びました?

将来を考え出したのは高3の11月くらい。志望校を考えろと言われて、当時はNHKの番組でアフリカの飢餓がやばいって聞いて、

「飢餓でも救うか」と思って国際系の学部に行こうとしました。

手島さん

やまお

ええええっ
まあでも、救いたいというか、まあ救うかみたいな感じですね。

手島さん

そこで決めた進学先は、お金がかからない国立で、国際学部がある筑波大学。でも、国際学部は文系で、私は理系だったんですよ。だから担任の先生に理系の学部を受けろってめちゃくちゃ怒られた記憶があります。そのあと、別の先生に国際学部では政治を変えるだけで飢餓は救えないから、農学部を受ければ良いじゃん?って言われて、確かにそうだなと思って筑波の農学部を受けることにしました。

(高校生って単純な理由で学部決めちゃうよね🥳)

研究職は飽きるから映画監督になる

好きな映画はB級映画で、オススメの配給会社はアルバトロスだそう。

大学入学後は、飢餓を救うとはいえ、本気で思ってはいないので勉強はそこそこに。将来を考えるタイミングでは、周りの8割は院卒で、そのあと研究職に就いていたので、そのまま自分も研究職に就くだろうなと思っていました。

でも、大学3年の終わりに大学院の志望を出すタイミングで、研究は楽しいけど一生続くのは飽きるなって思って、

 

映画でも作るかって思ったんですよね。

手島さん

やまお

えええええええええ

 

何をやっても飽きるし、飢餓を救うと言ってたけれども、人のためにやることよりも、自分が好きなことしかできないと思って、映画を作ることにしました。当時はものを作る方向で行きたいなと思っていて、映画が好きだったんです。それから、映像関係の仕事に就くなら美術系の大学に行ったほうが良いと思って、卒業と同じタイミングで筑波の美術科の入試を受けました。

卒業前に美術科の授業に勝手に出て、仲良くなった人に「ちょっとデッサン教えてくれない?」って頼んでデッサンを1年間くらい教えてもらっていましたが、流石に落ちました。落ちたあとはもう大学を卒業していて院には進めず、就活も終わっていたのでフリーターになりました。

(そりゃ落ちるわな🤔)

フリーター生活から1年後、新卒を受ける

両親や周囲の友人からフリーターの道を止められることは一切なかった。

卒業後は、映像関係の仕事が楽しそうだなって思っていたので、知り合いの紹介で日テレのバイトをさせてもらいました。

あとは映像関係に繋がる仕事ならこれだなと思って、

TSUTAYAでアルバイトを始めました。

手島さん

やまお

なんでええええええ

でも、TSUTAYAでのバイト自体は楽しかったんですけど、一緒に働いている契約社員の方々が人生に対して憂いを感じていたんですよ。バイトしていたお店は元々TSUTAYAではなくて、今まで自由にどのDVDを入れるか、どう配列するかを決めていたのに、TSUTAYAに買収されてから自由に決められなくなったと言っていたんです。

フリーターでも自由じゃなくてつまんなそうだなと思って巷では新卒で大きい会社に入れるって言うので、このタイミングで新卒受けるかって思って就活をしてみました。元々興味を持っていた映像関係の職種としてNHKを受けていたんですけど落ちてしまって、そのときに興味を持っていたエンジニア職で働ける会社も探していました。

当時、アフィリエイトが儲かるらしいって聞いて、ブログをカスタマイズして収益化を目指していたんです。そのときにweb制作が面白いと感じて、エンジニアに興味を持ちました。webエンジニアならECサイトも作れるし、全く違う領域もできるので飽きなそうで良いじゃんって思って。

その後、エンジニア未経験可のアドウェイズに入社することが出来て、同期の西川に出会い、西川と一緒に立ち上げた会社でエンジニアとしてCTOを務めています。

その後の記事はこちら↓

将来を考える学生へのメッセージ

目標が決められない人ってめちゃくちゃいると思うんですよ。でももう決められないです。私も決められなかったので。決められないってことを割り切って良いんじゃないですか?

5年後、10年後どうなりたいかってよく聞かれますけど、私もいまだにそれを聞かれても困ります。そもそも人類は2パターンいて、目的を置くタイプの人間と、目的はなくてプロセスを楽しむタイプの2つ。どう頑張っても、途中でどちらかに変わることはないと思います。

ただ、刹那的に楽しい日々が積み重なっていけば良い。でもそれをやっているとどこに行くか分からない。最終的にどこに行くか分からないってことを自己責任で認識しなきゃいけないと思います。変えられないんだから覚悟だけ決めとけってことです。ただ、プログラミングのような何か一つスキルを持っていると、さまよわないかもしれないですね。

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