「100日後に死ぬワニ」がバズった理由と、「ありのまま」と「何者か」の狭間で悩む若者

写真:『100日後に死ぬワニ 完結記念サイト』より

日本中が1匹の動物の1日を注目していた。

日本中が1匹の動物を見守っていた。

日本中が1匹の動物を話題にしていた。

そう。

100日後に死ぬワニである。

Twitter上に突如現れた1匹のワニが出てくる4コマ漫画が日本中を席巻した。世間はワニの話で持ちきりだった。至るところでワニ、ワニ、ワニ。ワニを知らないと輪に入れない、まさにワニワニパニック。

筆者もワニくんのファンの1人。この名作がもたらす余韻を邪魔する気は全くない。せっかくの名作に、やんややんや言うのははばかれる。しかし、語りたいのである。この名作の凄さを。この名作の何が素晴らしいのかを。そして今回「なぜ100日後に死ぬワニはバズったのか?」を考察することにしたた。ところがどっこい、一向に筆が進まない。「100日後に死ぬワニ」という名作を前に、何も書くことが浮かばなかった。

そんなときに、この記事を読んだ。

「ありのまま」と「何者かになる」の間でもがく若手キャリアの明暗を分けるもの | Business Insider Japan

現代の若手社会人の心情を考察したこの記事によって、一筋の光が差した。

そうか、だから「100日後に死ぬワニ」はバズったんだ。

一つのコンテンツが流行るのは、その当時の時代に生きる人々の思考が鍵を握っている。今回の「100日後に死ぬワニ」を流行させたのは、おそらくTwitter上の20代~30代くらいの若者であろう。つまり、今の時代に生きる20代~30代の若者の考え方が「100日後に死ぬワニ」がバズるキーとなったはずだ。前述の若者の考察記事を読んで、一連の「100日後に死ぬワニ」がバズった理由が明確に分かった。

そこで今回は、「なぜ100日後に死ぬワニがバズったのか?」という理由を、現代に生きる若者の特性の考察を織り交ぜながら解説していく。

それでは、ファンの1人としてこの名作へのリスペクトを持ちながら解説するワニ。ヒワニーゴー🐊

「ありのまま」と「何者か」の狭間で悩む若者

前述の記事にもあったように、現代の若者は「ありのまま」と「何者か」の狭間で悩んでいる。

自分らしさが大事と言われる世の中になり、若者はありのままの自分を受け入れて個性を尊重しようという環境で育てられるようになった。

一見「ありのまま」という言葉は、そのままで良いという意味にも取れて、何も頑張らなくても良いように聞こえる。しかし、この「ありのまま」の言葉はそこまで甘いものではない。

個性を尊重することで、一人一人が持つ優れた才能を開花させていこうという動きのなかで生まれてきた「ありのまま」という言葉だ。ただ文字通り「ありのまま」生きてしまっていたら、何も個性に磨きがかからない。

自分しか持っていない個性を磨かなければならないという大きな試練が与えられている。自ら向かうべき「何者か」というゴールを設定して、それに向けて個性を磨き上げなければならない。

つまり、ありのままに生きようとは思っていながらも、このままでは「何者か」にはなれないのではないかと悩んでいるのである。

“自分が良いと思うがまま働こうとすれば、「何者」かになるためには遠回りになるかもしれない。「何者」かになろうと思い必死に働きながら、「ありのままでいる」のは難しい。

現代の若手社会人は、この矛盾する「ありのまま」と「何者か」のはざまで、自分だけの「ありのまま働ける“こと”」「何者かになれる“こと”」の最小公倍数を探して、日々モヤモヤを抱えている。”

引用元:「ありのまま」と「何者かになる」の間でもがく若手キャリアの明暗を分けるもの | Business Insider Japan

慣れ親しんだ「主人公」は、「何者か」になってきた

では、なぜ「ありのまま」生きることが出来ないのだろうか。何が若者たちに「何者か」になるよう仕向けるのか?

それは、若者が小さい頃から触れてきたアニメや漫画が大きく関わっている。

漫画やアニメの主人公は、いつも「何者か」になってきた。当時の子供たちは主人公に感情移入し、いつか自分も漫画やアニメの主人公のように、自分も「人生」という物語の主人公として「何者か」になろうと夢を持っていたはずだ。かつての人気漫画やアニメは、多くの子供たちの思考体系に影響を大きく及ぼしたに違いない。

宇宙一の格闘家だったり、忍者集団の長だったり、海賊王だったり、スポーツ選手だったり、何かしらの道でアニメや漫画の主人公は「何者か」になっていた。

それを延々と見続けてきた我々若者は、やはり何かしらの「自分らしい道」で、「何者か」にならないといけないと焦ってしまうのだ。

100日後に死ぬワニは、「何者か」になる前に死ぬ

今まで散々「何者か」になる作品をシャワーの如く浴び続けてきた若者は、「ありのまま」でありながら「何者か」になるべく努力をしなければならないと躍起になる。しかし、ほとほと疲れてきた。

自分は「何者か」になれるのであろうか?

そもそも「何者」になるのであろうか?答えはまだはっきりしない。

そんな最中にTwitterを見たら、

 

あれ、

このワニ、100日後に死ぬのか。

しかも、若いフリーターっぽい。。

何者にもなっていない、この若いワニは、100日後には死んでしまうのか。

、、、

「何者か」になる前に、ひとたび自分が死んでしまったらどうするんだろうか。

前提として、自分は「何者か」になるための道のりを歩んでいると思っていた。

でも、実はそうじゃない。道はあるかどうか分からない。一寸先はワニ。いや、闇だ。

人間はそもそも何者かになるために道を歩んでいるんじゃない。ただ生きているんだ。いつ死ぬか分からない。道は決まっていない。いま・ここに生きている瞬間の延長線を勝手に伸ばしているだけだ。

今まで読んだ漫画では、次のページで主人公がなんの脈絡もなく突如死んで物語が終わることはない。アニメでも、いきなり3話で主人公が死んで物語そのものが終わることなんてまずない。

でも、人生という物語は突如終わることもある。

ワニくんは先のことなど深く考えず、ただぐうたらして、ただ寝て、ただラーメンを食べて、ただ友達と遊んで、ただ恋愛をして、バイトを転々としながら、ただありのままに生きていた。

私たち若者は「何者か」になるべく焦ってしまい、ありのままに生きることに不安を感じていた。

しかし、ひとたび100日後に死ぬことが分かっていると、ありのままに生きるワニくんの生活がなんとも美しくて素敵なことにように感じる。

あれ、こんなにも生きることって、美しくて素敵なことなのか?

生きるってすごいじゃないか。

そうだ。ありのまま生きていてもそれはそれで良いじゃないか。

これは別に「何者か」にならなくて良いというわけではない。

ただ、「ありのまま」生きている瞬間も素敵なことだということに気付かせてくれたのだった。

それだけで価値がある。

100日後に死ぬワニは、「何者か」になる前に主人公が突如死ぬという、今まで若者が巡り合ったことがない作品と出会い、心に突き刺さった。

そして、「何者か」になれなくてもただありのままに生きている姿に心を打たれた。

こうしてTwitter上でバズっていったに違いない。

人生は「何者か」になるストーリーじゃねえんだよ!

少し歳の離れた大人たちは、こんなこと普通じゃないかと言うが、あまりにも「何者か」になるべく先の世界を想像しすぎていた若者にとってみれば、見落としていた大切なことを与えてくれた大事な作品だったのだ。

ただありのままに生きる。

それはそれでいて、美しく、素敵なことだ。

そうか。俺たちは生きているんだ。

 

今は「何者か」になるためのストーリーの第26話じゃねえんだよ!

 

ワニくんは死んでしまった。

しかし、現代の若者たちの心の奥底にある「ありのまま」の世界では、永遠に生き続けてくれるだろう。

「何者か」になるべく焦って苦しんでいるとき、ワニくんがまた助けてくれるはずだ。

ありがとうワニくん。

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