吉田将来
1993年4月7日
日本 埼玉県
早稲田実業高等学校
早稲田大学
フリーランス
20代から、自分の好きなことって仕事にできるの?
今回は、オンラインサロンで、スポーツ文化を作り上げている吉田くんを紹介します。定職が無く、オンラインサロンで大好きなスポーツばかりやりながら生活する彼は、どのようにして今の生き方を作り上げてきたのか。20代から好きなことをやりながらキャリアを築く吉田くんに迫ります。

吉田将来(よしだ まさき)早稲田大学在学中にインターンをしていた野球ビジネスの企業に就職。1年間広告事業に携わり、オンラインサロンでのコミュニティー運営に興味を持ち、退職。フリーランスの道へ。朝渋や箕輪編集室で、フットサルなどの数多くのスポーツイベントを立ち上げる「人間スポッチャ」現在は、スポーツへの敷居を圧倒的に下げる」を目的にみんなのやりたいスポーツを「即」実行する集団【ソクスポ】を運営している。
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スポーツのコミュニティーを立ち上げる流れを作り上げたい。
ー夢は何ですか?
誰よりもスポーツをやって、スポーツのコミュニティーを立ち上げる流れを作り上げることです。そのために、まずはスポーツへの敷居を圧倒的に下げたいと思っています。やりたいときにやりたいスポーツができる環境を作っていくことが、今後の展望ですね。
きっかけは、好きな女の子とドッヂボール
ー小さい頃どんな人でした?
昔からスポーツの機会を作るタイプだったんです。小学生の頃に好きな子がいて、その子に振り向いてもらうために、ドッヂボールのコミュニティーを作ってました。
ただ好きな子にドッヂボールをやろうと誘うのではなくて、ドッヂボールをやっている人たちが楽しそうに見えるようにして、好きな子を誘わなくても、その子が思わず参加するような雰囲気を作ってたんですよね。そのために、ドッヂボール選手名鑑を作ったり、投げ方を教えたりもしてました。
(好きな子のために、小さい頃から戦略的にスポーツコミュニティーを作ってた吉田くん、エモい
)
あと当時、地元の小学校から離れた少年野球チームに入っていて、他の学校の友達が居たんですよ。小さい頃から幅広く友達がいる環境が好きだったから、色んなグループに参加してたんです。どんなグループに行っても、自分を知ってくれる状態が好きだったんですよね。
(たしかに。他のクラス行ったときに、声かけられるの嬉しかったな
)
バッテリーの原田匠に憧れて、クールキャラになった中学時代
小学生のおちゃらけキャラから一変、クールキャラを目指した吉田くん。
ー中学時代はどんな人でした?
小学生の頃はお調子者だったんですけど、クールキャラに変わったんです。野球小説『バッテリー』の原田巧っていう、ジャックナイフみたいなやつに憧れて、性格をシフトしたんですよね笑
中学時代にハンカチ王子にも憧れて、早稲田実業高校を目指すことになるんですけど、原田巧みたいなクールに自分の道を突き進む性格にシフトしたおかげもあって、周りになんと言われようと、受験勉強頑張ったんです。
(かわいいな
)
ー高校受験はどうでした?
勉強も出来て、野球も上手い「ハンカチ王子」が文武両道の道の最高峰で、すごい憧れてました。それで、早稲田実業高校に行く決心がすごい高かったんです。普段否定をしない親に「難しいよ」って言われてたんですけど、「は? なんでそんなこと言うの?」ってキレるくらいでしたね。まあ周りからも無理だと言われてたし、最初はE判定だったんですけど。でも結局頑張って早稲田実業高校に合格しました。その成功体験で、周りになんと言われようとも自分は成し遂げることが出来ると思えるようになりました。
コミュニティー内の自分の役割を考えた高校時代
早稲田実業高校に合格後、吉田さんを待ち受けていたのは野球部の強固なヒエラルキー
ー高校生のときはどんな人でした?
野球部に入ったんですけど、推薦入試で入った野球が上手いやつ、中等部から入ってるやつがいるから、すでにヒエラルキーがあったんですよね。今までオラオラ系だったんですけど、もっとオラオラ系が現れたから、自分の立ち位置を考えるようになりました。だから、レギュラーを目指すのも良いけど、別のポジションで活躍するのもありだなって思ってましたね。毎年男子マネージャーが2人選ばれるんですけど、そのマネージャーがしっかりしていれば甲子園出れるなって思ってたから、結局マネージャーになったんです。選手として頑張るだけでなくて、自分が活きるようなポジションを探すようになったんですよね。自分よりもっと上手くできる人がいるなら、その人に役割を任せて、全体のコミュニティーの中で自分が出来る役割を探していくのは、そのときに学んだと思います。
ーマネージャーになるとき、悩まなかったんですか?
選手としてやりたい思いもありましたよ。でも、いつも男子マネージャーが選ばれるときって、メンバー全体がまとまるんですよね。その人は選手を諦めるわけだから、プレーヤーはマネージャーのためにも頑張ろうって思えるんで。だから、俺がマネージャーをやることで、チーム全体がまとまるなら良いなって思ったんです。
(高校生の頃から周りを見て、自分の立場を考える経験をしてたのか。。。かっこいいな🥺)
自ら草野球チームをつくった大学時代
大学進学後、野球サークルをやめて自分で草野球サークルをつくったそう。
何となくそのまま早稲田大に行って、野球サークルに入ったんです。そのサークルが飲みサーで、飲みまくって親に迷惑をかけていたんですけど。。
吉田さん
その野球サークルは練習に毎回参加するよう束縛が強かったので、自分に合わなくて、結局やめました。そのあと、自分の草野球チームを立ち上げたんです。それが今のスポーツの機会を作り上げる経験につながっていると思います。他のメンバーが何もやらないから、試合をやるために必要なことを全部やってました。


吉田さん
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