スペインの巡礼で気づいたこと
退社後に向かった先はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路。聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並んでキリスト教の三大巡礼地に数えられている。
会社を辞めたあと、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に行きました。1ヶ月のうちに1000キロ歩くので、最初は気持ちがめっちゃ急ぐんですよ。永遠に終わらないような気がするから。最初の1週間、急いで歩いたんですけど、5分の1しか進んでいなくて焦りました。焦りながらも日々ちょっとずつ詰めていく。そしたら、半分過ぎたあたりで、永遠だと思っていた過去の毎日が案外一瞬のように感じたんです。
それから先が早い。毎日に慣れてしまってからが早い。時間と距離がどんどん短くなる。3分の2を過ぎたくらいからこの旅が終わって欲しくないなって思うようになったんです。なんで最初のときに急いでいる気持ちがあったんだろう。あのときをもっと楽しめば良かったのに。人生もこれと同じことだなと思いました。だから、未来のために今があるんじゃない。今は今のためだけにある。
これからは一旦、コンサルタントの道に進みます。ふわっとそうしてみたら面白いかもと思ったから。でももしまた次のチャンスが来たら、多分そのとき分かると思います。分かる瞬間があるはずです。起業かもしれないし、留学かもしれないし、選挙出馬かもしれない。それは今はわからないですけれど、選択をするときにこっちを取りなさいっていうサインが出てくる。
巡礼では道や矢印がいっぱいあるんですよ。1000キロ先の目的地を指しているサインがたくさんある。巡礼をしていないその場所に日々生きている人にとってはその印はなんも意味もなさない。でも、そこに道があると思っている人にとっては意味しかない。辿り続けているからこそ、それを見つけられる。あると信じているからそこにサインがサインとして現れて、見えるし、感じられるんです。
今はもう迷いはありません。
やりたいことをやるだけ。やりたいことを素直にやり続けていれば、多分どこかにつながっている。
つながっているって信じています。
絶対繋がっている。
将来を考える学生へのメッセージ
「考えるな、感じろ」ですね。
将来を自分で決められるって思うだなんておこがましくないですか?もう将来は決まっている。考えて正しい選択ができると思うなんておこがましい。そもそも正しいとか正しくないとかもない。流れに身を任せれば良い。
考えないようにするには、自分ってこう言う人間だと思っているものが壊れる経験をすれば良いと思います。何かの方法で今思っている自分が壊れる体験をすれば良い。
俺ってこうだよねってならずに、俺ってなんだっけ?ってなる。思考の枠が外れるので。
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